見町観音堂(読み)みるまちかんのんどう

日本歴史地名大系 「見町観音堂」の解説

見町観音堂
みるまちかんのんどう

[現在地名]七戸町 見町

七戸町の市街地の西南、見町にある。宝暦(一七五一―六四)の頃の御領分社堂に正観音堂とみえ、別当は修験見蔵院である。延宝四年(一六七六)四代藩主南部重信の代に再興され、享保一二年(一七二七)八代藩主利視の代に修復された。隼人正により高五石を寄進されたともあるが、隼人正が七戸氏のだれにあたるかは不明。南北朝合体後七戸に隠退した根城南部氏八代政光が応永三年(一三九六)に創建したものと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の見町観音堂の言及

【七戸[町]】より

…1962年に千曳(ちびき)から七戸まで開通した南部縦貫鉄道はのちに野辺地まで延長され,全国唯一のレールバスで知られる。七戸城跡(史)や多数の絵馬を有する見町(みるまち)観音堂がある。【佐藤 裕治】。…

※「見町観音堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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