見附町(読み)みつけまち

日本歴史地名大系 「見附町」の解説

見附町
みつけまち

[現在地名]見附市ほん町・本町一―四丁目・学校がつこう町一―二丁目・しん町一丁目・同三丁目・南本みなみほん町二丁目・本所ほんじよ一―二丁目・昭和しようわ町一―二丁目・もと町一―二丁目

刈谷田かりやだ川が東山丘陵から新潟平野に流れ出る接点、標高二〇メートル前後の自然堤防上。中世には北に続く内町うちまち村の元町集落付近を見附と称したとみられる。永正一六年(一五一九)四月一九日「見付条」の給人中に宛てた三条城主山吉政久の安堵状(上杉家文書)には「傍輩西光寺弥三郎与被仰結大面庄見付条鞘勝田同屋敷并塩坪木根田」とみえる。このうち塩坪しおつぼは、明治二五年(一八九二)作製の新潟県越後国南蒲原郡見付町全図によれば、現本町四丁目に比定できる。鞘勝田・木根田は不明。永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)に「見つけ」とある。天正六年(一五七八)の御館の乱の頃には見附城に丸田氏が籠城した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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