覚中町
かくちゆうまち
[現在地名]富山市山王町・千石町一丁目・西町・一番町・越前町・太田口通り一丁目
壱番町・弐番町の南に並行して東西に延びる両側町で、西は西四十物町、東は宗為町に続く。田地方のうちで、町名は本草学者内山覚中が居住したことに由来するといわれる。安永八年(一七七九)の本家数一三・貸家数一九(「町方旧記抜書」前田家文書)。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理によれば、竈数二四、男五二・女五四。東方の太田口町へ出る坂下に橋があり、藩が補助して維持した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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