日本歴史地名大系 「覚性院丁」の解説 覚性院丁かくせいいんちよう 宮城県:仙台市仙台城下覚性院丁[現在地名]仙台市八幡(はちまん)二丁目石切(いしきり)町北詰より東へ土橋(どばし)通と交わり、北六番(きたろくばん)丁に通じる街路で、北側にあった覚性院の門前町。同寺院は真言宗で西部山と号し、仙台開府前に国分盛重の嫡男宝永が中興開山と伝える(封内風土記)。寛永一九年(一六四二)城下東部の元寺(もとてら)小路に再建、のち承応三年(一六五四)完成の東照宮を造営する際に同地が旅宮となったため当地に移ったという(東照宮建立記「仙台市史」所収)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by