観賢(かんげん)(読み)かんげん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「観賢(かんげん)」の意味・わかりやすい解説

観賢(かんげん)
かんげん
(854―925)

平安中期の真言宗の僧。讃岐(さぬき)国(香川県)出身。別称を般若寺僧正(はんにゃじそうじょう)という。862年(貞観4)東寺の聖宝(しょうぼう)にみいだされて入京し、16歳で出家、しばらく南都で三論宗、法相(ほっそう)宗を学び、興福寺維摩会(ゆいまえ)の竪義(りゅうぎ)(論義問答)で名を高めた。895年(寛平7)聖宝から伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受け、900年(昌泰3)仁和寺(にんなじ)別当となり、般若寺を復興した。909年(延喜9)聖宝の寂後、東寺長者となり、以後、東大寺検校(けんぎょう)、醍醐寺(だいごじ)および高野山座主(こうやさんざす)なども兼任した。宗祖空海に弘法(こうぼう)大師という諡号(しごう)を奏請し、921年10月27日それを賜った。大師の御影供(みえいく)も観賢から始まるなど、事教二相を究めた。

[平井宥慶 2017年6月20日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例