聖宝(読み)ショウボウ

デジタル大辞泉 「聖宝」の意味・読み・例文・類語

しょうぼう〔シヤウボウ〕【聖宝】

[832~909]平安初期の真言宗の僧。大和の人。諸国を遊歴して修行し、後世修験道中興と称された。醍醐寺東大寺東南院などを建立。東密小野流の祖。諡号しごう理源大師

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精選版 日本国語大辞典 「聖宝」の意味・読み・例文・類語

しょうぼうシャウボウ【聖宝】

  1. 平安前期の真言宗の僧。東密小野流の祖。修験道の中興。勅諡は理源大師。大和国(奈良県)の人。春日親王の末裔という。真雅・真然から密教を受けたが、三論・法相・華厳をも学び、また各地に行を積み、金峰山(きんぶせん)に金剛蔵王像を安置して修験道をもりたてた。寛平二年(八九〇)貞観寺座主。延喜六年(九〇六東寺長者。天長九~延喜九年(八三二‐九〇九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「聖宝」の意味・わかりやすい解説

聖宝
しょうぼう
(832―909)

平安時代の真言(しんごん)宗の僧。醍醐寺(だいごじ)の開祖。京都の人。空海の高弟真雅(しんが)の下で出家し、諸寺に三論(さんろん)宗、法相(ほっそう)宗、華厳(けごん)宗を学び、ふたたび真雅の室(むろ)に戻って真言宗を学ぶ。880年(元慶4)高野山(こうやさん)の真然(しんぜん)(804/812―891)に学び、887年(仁和3)には東寺(とうじ)の源仁(げんにん)(818―887)につき阿闍梨(あじゃり)となる。役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り川を渡り山野に苦行修練して、修験道(しゅげんどう)の基礎を築いたので、「修験道の醍醐寺」といわれる。真言宗の法流には大きく分けて小野(おの)流と広沢(ひろさわ)流があるが、小野流は、彼の弟子観賢(かんげん)から広まったので、聖宝はその祖師と仰がれる。のちに理源大師(りげんだいし)の号を賜る。

[平井宥慶 2017年8月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「聖宝」の意味・わかりやすい解説

聖宝 (しょうぼう)
生没年:832-909(天長9-延喜9)

平安前期の僧。天智天皇6世の孫。恒蔭王といったが,16歳で東大寺に入り,空海の実弟の真雅を師として出家し,願暁,円宗に三論を,平仁に法相を,玄栄に華厳を学んだ。869年(貞観11)に興福寺維摩会の竪義(りゆうぎ)に出て,三論宗の立場で論を立ててその名を知られるようになった。その間真言の修学に励んでいたが,860年ころから山林修行に心を傾け,各地の霊山を巡るうち,874年に京都の東南の笠取山頂に道場を開き,それが醍醐寺の起源となった。真言の修行を終えた聖宝は,880年(元慶4)ころから貴族社会でも重んぜられるようになり,貞観寺座主,東寺長者,東大寺東南院主などに任ぜられ,僧正となった。弟子に観賢,延敒(えんちん)らがある。諸寺の造像に力を尽くし,《古今集》に1首の歌を収載する。権威にへつらわない豪快な僧としての逸話が多く,中世以降,修験道中興の祖として讃仰され,1707年(宝永4)東山天皇の勅によって理源大師の称号が贈られた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「聖宝」の意味・わかりやすい解説

聖宝
しょうぼう

[生]天長9(832)
[没]延喜9(909)
平安時代の真言宗の僧。理源大師。真言修験道当山派の開祖。承和 14 (847) 年空海の弟子真雅から,三論,法相,華厳,密教を学び,元慶8 (884) 年源仁から伝法灌頂を受ける。東寺の権法務から累進して,長者,僧正になる。諸寺の堂塔の修築に力を尽し,東大寺境内に三論宗の本所として東南院を建立し,その第1世となる。役小角に私淑して,大和の諸高山で修行し,醍醐寺を創建し,峰授灌頂を始めるなど,修験道の再興をはかった。その流派は当山派と称されたが,当山は吉野金峯山の奥の大峰をいう。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「聖宝」の解説

聖宝 しょうぼう

832-909 平安時代前期-中期の僧。
天長9年生まれ。真言宗。小野流の祖。東大寺の真雅(しんが)について出家。三論(さんろん),法相(ほっそう),華厳(けごん)をまなび,東寺の源仁(げんにん)に灌頂(かんじょう)をうける。醍醐(だいご)寺,東大寺東南院を創建し,東寺長者などを歴任。大和の金峰山(きんぷせん)をひらき,修験道(しゅげんどう)の中興とされる。延喜(えんぎ)9年7月6日死去。78歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。俗名は恒蔭王。諡号(しごう)は理源大師。

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世界大百科事典(旧版)内の聖宝の言及

【醍醐寺】より

…深雪山と号する。874年(貞観16)に聖宝(しようぼう)が創建。のちに上醍醐と呼ばれるようになった笠取山の山頂に,如意輪・准胝両観音を安置する堂宇を建てたことに始まるとされる。…

【当山派】より

聖宝(しようぼう)(理源大師)を派祖とする真言密教系の修験教団。金峰山(きんぷせん),大峰山をはじめとして,熊野三山,葛城山を修行の根本道場とした。…

【平安時代美術】より

…それはまず密教の教義が造形表現をかりなければ相伝しがたいといわれ,造形美術を著しく発展せしめたためであり,製作側からみると,従来の専門工人に加えて,教義に詳しくまた造形表現も可能な僧籍の人たちの出現をうながしたことにもよるであろう。10世紀初頭の醍醐寺の薬師三尊像は当代の名僧聖宝(しようぼう)と,その弟子で仏師である会理(えり)による造像であることが知られる。また952年(天暦6)同寺に建立された五重塔の初層を飾る極彩色の板絵には,両界曼荼羅の諸尊をはじめ,前述の七祖に空海を加えた真言八祖像などが描かれている。…

【鳳閣寺】より

…百螺山真言院と号する。役行者(えんのぎようじや)が草創し,895年(寛平7)聖宝(しようぼう)(理源大師)が毒蛇を退治して大峰入峰を再興し,900年(昌泰3)峰授の秘密灌頂(かんぢよう)(恵印(えいん)灌頂)をここで行い,その後弟子貞崇に付属したと伝える。1699年(元禄12),江戸戒定慧院俊尊は,三宝院門主高賢の命を受けて当寺の住職となり,当山修験諸国総袈裟頭を務めた。…

※「聖宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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