日本歴史地名大系 「角泉村」の解説 角泉村かくせんむら 埼玉県:比企郡川島町角泉村[現在地名]川島町角泉下伊草(しもいぐさ)村の東に続く入間(いるま)川(越辺川)左岸に位置し、集落は同川の自然堤防上に発達する。東は釘無(くぎなし)村、南は入間川を隔てて府川(ふかわ)村・網代(あじろ)村・福田(ふくだ)村(現川越市)、北は安塚(やすづか)村。天正一六年(一五八八)正月六日の太田氏房印判状写(武州文書)に「かくせん立川分」とあり、太田氏房は岩付(いわつき)城(現岩槻市)の外構普請のための人夫三人の出役を当地などに命じている。田園簿に村名がみえ、田高一三四石余・畑高八二石余・野高一石余、川越藩領。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高三五五石余、反別は田二三町四反余・畑三七町二反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by