慈眼院(読み)じげんいん

日本歴史地名大系 「慈眼院」の解説

慈眼院
じげんいん

[現在地名]泉佐野市日根野

樫井かしい川右岸の段丘上、日根ひね神社の北にあり、西方一帯は大井関おおいぜき自然公園となっており景勝地でもある。大悲山と号し、真言宗御室派。大井堰おおいぜき御坊とも称し、大井関大明神(日根神社)の旧神宮寺。本尊は薬師如来。井堰山願成就がんじようじゆ寺ともいう。寺伝によれば、天武天皇二年(六七三)勅願所として阿闍梨覚豪によって創建され、天平年間(七二九―七四九)聖武天皇の勅願所となったという。弘仁六年(八一五)から二年間空海が止住し、多宝塔・金堂を造営し一山を整備したとも伝える。

なお当寺付近には中世この地方の在地領主であった源盛長一族の菩提寺無辺光むへんこう院があったといわれる。無辺光院の名は文保三年(一三一九)一一月二二日の源兼定譲状(九条家文書)にみえ、「代々菩提所也」とある。これより前、嘉禎二年(一二三六)五月一七日の関東下知状案(同文書)によると、幕府は日根野村荒野と前木工権頭源盛長の堂敷地六町歩に対して地頭が非法を行わないよう下知しているが、この堂屋敷が無辺光院であったと思われる。


慈眼院
じがんいん

[現在地名]境町下小橋

香取神社西の下小橋しもこばし公民館の奥間を仏殿としている。真言宗豊山派で、本尊の不動明王木像は明暦二年(一六五六)の作と伝える。宝永三年(一七〇六)の指出帳(長野監治文書)に「真言宗慈眼院、本寺境町吉祥院、一下畑三反歩寺社領ニ御引被下候、一境内東西三十間、南北八十八間」とある。


慈眼院
じがんいん

[現在地名]雄物川町二井山

二井山にいやまの東南にある湯殿山行人の修験道場。新光山と号す。慶長―寛永(一五九六―一六四四)頃建てられたという(雄物川町史)。境内に二井山で修行し、即身仏となった行人の墓が現存、墓碑に「神海上人 文久四年、重海上人 年代不詳 □□上人 明和五年」の文字がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慈眼院」の意味・わかりやすい解説

慈眼院
じげんいん

大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺院天平時代の創立。現在は鎌倉時代建立の本堂と多宝塔が残る。本堂の建立年次は不明であるが,多宝塔は墨書により文永8 (1271) 年の造営が明らかである。下層の組物は二手先 (ふたてさき) で,四天柱を抜いて下層を堂形式とした多宝塔としては最古の遺構。国宝

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デジタル大辞泉プラス 「慈眼院」の解説

慈眼(じげん)院〔大阪府〕

大阪府泉佐野市中部にある真言宗御室派の寺院。山号は大悲山、本尊は薬師如来。天武天皇の勅願寺として創建されたと伝わる。古くは井堰(いせき)山願成就寺と称した。多宝塔は国宝、金堂は国の重要文化財指定

慈眼(じげん)院〔沖縄県〕

沖縄県那覇市にある寺院。宗派は臨済宗妙心寺派、本尊は千手観音菩薩。1618年創建と伝わる。琉球国王祈願所。「首里観音堂」とも呼ばれる。

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