許斐岳城跡(読み)このみだけじようあと

日本歴史地名大系 「許斐岳城跡」の解説

許斐岳城跡
このみだけじようあと

[現在地名]宗像市王丸、宗像郡福間町八並

許斐山(二七一メートル)の山頂部に築かれた城と、南西方の登城口にあたる現福間ふくま八並やつなみ吉原よしはらに築かれた里城からなる。「続風土記」は許斐山古城とし、大宮司一五代氏平が初めて築き、近年は許斐氏備が居住するという。「続風土記拾遺」は許斐岳古城とし、宗像氏平が築き、享禄二年(一五二九)に占部豊安が大内義隆の許可を得て再営したこと、通常は八並の吉原に里城を構えて住んだことを記す。豊安宛の義隆書状写(占部文書)も残されているが、築城の時期とともに検討の余地がある。永禄元年(一五五八)と考えられる六月二八日の麦生鑑光宛大友義鎮書状(大友文書録)に許斐城とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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