日本歴史地名大系 「王丸村」の解説 王丸村おうまるむら 福岡県:前原市王丸村[現在地名]前原市王丸末永(すえなが)村の南、王丸山(四五三メートル)西麓に位置する。村域は南に接する飯場(いいば)村(現福岡市早良区)に至る峠道に沿って南北に広がる。南は川原(かわばる)川を挟み川原村。中世は怡土(いと)庄の内。文暦二年(一二三五)三月日の将軍藤原頼経袖判下文(弘文荘待賈文書/鎌倉遺文七)に「王丸名」がみえ、再開発のため万雑公事を免除され反別一斗五升の所当米のみを納めるよう命じられている。正元二年(一二六〇)善阿は養子源安に同名を譲り(文永九年一〇月二〇日「仁和寺御室宮庁下文案」改正原田記附録/鎌倉遺文一五)、安は文永四年(一二六七)再開発以後も年貢のみを納めるよう命じられた(同年九月日「某下文」弘文荘待賈文書/鎌倉遺文一三)。 王丸村おうまるむら 福岡県:宗像市旧宗像市地区王丸村[現在地名]宗像市王丸・日(ひ)の里(さと)六―八丁目許斐(このみ)山(二七一メートル)の北東麓に位置する。大穂(おおぶ)村の北にあり、南西は同山を境に八並(やつなみ)村(現福間町)。古くは宗上村とよんだという(続風土記)。慶長石高帳に王丸村とみえ、慶長九年(一六〇四)の検地高六三六石余、うち大豆一七三石余。元禄五年(一六九二)には高七七七石余、人数三〇〇(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政五年(一七九三)の成立と推定される宗像郡明細帳によると戸数三五・人数一八七、牛三四・馬六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by