朝日日本歴史人物事典 「詫磨為遠」の解説
詫磨為遠
平安後期に活躍した画家。鎌倉時代に栄えた絵仏師の一派詫磨派の祖とされる。勝賀,為久の父。法名は勝智,法印に叙されたという。久寿2(1155)年以前に高野山内の覚王院(近衛天皇発願)の柱に三十七尊を描き,承安4(1174)年,女院逆修のために仏経の制作にたずさわる。また長承1(1132)年に完成した高野山大伝法院の堂内に描かれた両界曼荼羅と十六祖師影も為遠の作と考えられている。高野山に伝来した図像「金胎仏画帖」(大和文華館ほか分蔵)は,為遠の作品である可能性がある。<参考文献>平田寛「宅磨派における伝統性」(『国華』1085号)
(救仁郷秀明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報