美術雑誌。1889年(明治22)10月,高橋健三,岡倉天心らによって創刊された。国運隆盛期にあって欧化主義の反省から日本美術の究明と紹介をめざす美術研究誌として,また高度の木版印刷による多色図版を採用した名品鑑賞の雑誌として出発したが,次第に古美術研究の専門誌としての性格を強めた。関東大震災と戦災によって版木や資料を焼失したこと,また何十回も刷り重ねた精緻な図版を収め,日本で最初にコロタイプ印刷を用いるなど破格の豪華雑誌ゆえにその経営は困難を極めたが,朝日新聞社の村山・上野両家による赤字負担,さらに1939年には朝日新聞社出版局に経営が移るなどの支援により,1977年には1000号を数えた。世界で2番目に長寿の美術雑誌として現在も発行され,国際的にも高い評価を得ている。79年,創刊号から1005号までのマイクロフィルム版が出版され,81年に総索引が編まれた。
執筆者:中島 理寿
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美術雑誌。1889年(明治22)10月、当時わが国の宝物調査事業の鼓吹者の一人であった高橋健三(1855―98)と友人の岡倉天心により創刊。その目的は主として東洋美術ことに日本美術の評論、考証をなし、かつ古美術を木版および写真版に複製して、広く世に紹介することにあった。古美術の複製にはわが国固有の木版色摺(いろずり)が用いられ、ほかに、そのころアメリカより初めて伝えられた玻璃(はり)版(コロタイプ)の技術もあわせ使用された。そのため国内のみならず欧米諸国にも販路を広め、1905年(明治38)以来朝日新聞社の後援を得て国華社から毎月発行されている。なお英文版が発行されたことがあるが、第一次世界大戦により1918年(大正7)6月で刊行を中止した。
[永井信一]
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…横山大観,下村観山,菱田春草,木村武山らが膝下で育っている。そのほか88年に臨時全国宝物取調局委員,89年には帝国博物館理事兼美術部長,そして高橋健三と諮って雑誌《国華》を創刊するなど,華々しい前半生の活動期を迎えた。新しい日本画の創造にあたって,極端な保守主義や欧化主義を排し,東洋の伝統をふまえて進取発展する道をとるというのが,天心の立場であった。…
…帰国後,85年東京市内に写真館〈玉潤館〉を開業し,乾板製造にも着手。89年日本ではじめてコロタイプ印刷のための工場を設立,同年雑誌《国華》の写真,印刷を引き受けた。1910年帝室技芸員,東京写真師組合初代会長となっている。…
※「国華」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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