調月庄(読み)つかつきのしよう

日本歴史地名大系 「調月庄」の解説

調月庄
つかつきのしよう

紀ノ川と貴志きし川の合流点南部東岸、現調月一帯を荘域とした。元仁二年(一二二五)とみられる二月一四日付の定円書状(神護寺文書)に「比叡山庄墓つきの庄也」とみえるが、調月庄としては徳治二年(一三〇七)八月日付の阿河庄地頭披陳状に添えられた頼聖具書案(又続宝簡集)に「調月庄東西」として「唐橋法印領 下司 公文孫三郎不実名、為高野合戦没収之地、拝領俣野八郎入道之後、返給孫三郎畢」とみえる。「高野合戦」とは、正応四年(一二九一)荒川庄悪党為時と同庄沙汰人・御家人三毛心浄らとの合戦をさし、孫三郎は同年九月日付の荒川名手両庄悪党交名注文(同集)にみえる「吉仲庄住人」の孫三郎良信と同一人とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む