諫早塚(読み)いさはやづか

日本歴史地名大系 「諫早塚」の解説

諫早塚
いさはやづか

[現在地名]多久市南多久町下多久 桐野

妙覚(みようかく)寺の参道中ほどの右手に供養塔数基が並んでいる。これは寛延年間(一七四八―五一)諫早(現長崎県諫早市)で起こった百姓騒動の被処刑者二六人の追善供養の塚である。石塔の一つに一五名の名を陰刻した銘がある。この陰刻の上段五名は諫早の上級家臣、下段一〇名は百姓である。このほか百姓一〇名(含二名町人)の記銘がもれているとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む