諸徳寺村(読み)しよとくじむら

日本歴史地名大系 「諸徳寺村」の解説

諸徳寺村
しよとくじむら

[現在地名]干潟町清和甲せいわこう

南堀内みなみほりのうち村の東、旧椿つばき海へ臨む下総台地の先端に位置する。台地に沿って寛文期(一六六一―七三)の椿海開発に際して設けられた惣堀があり、台地の下には同堀と並行する道に沿って集落が開けている。現山田やまだ長岡の稲葉山ながおかのいなばやま神社の慶長一五年(一六一〇)正月一八日の棟札に、寄進村の一として諸徳寺村とみえる。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高三五五石余、幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む