日本歴史地名大系 「諸県庄」の解説
諸県庄
もろかたのしよう
宇佐大鏡に「本庄号諸県庄」とみえ、長承年間(一一三二―三五)に定められた起請田の田数は一七六町で、天喜五年(一〇五七)国司菅野政義のときに封民八〇人の代りとして寄進された荒野が神領として立券され、開発されたという。所当例済物として米三五二石・布三五二疋・田率綿一三二両・桑代絹四八疋・節料上品長絹一疋・織布八反、贄の鮎鮨桶一〇口・押鮎一千隻が賦課されるほか、放生会料として紙八八帖・班幔二〇帖・上莚三〇枚・長莚五枚・次布五反・凡絹三〇疋・相撲六人、万灯会料の油四斗二升・凡絹などが賦課されていた。庄園の実務を担当する収納使分の名田として当庄内に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報