谷町二丁目(読み)たにまちにちようめ

日本歴史地名大系 「谷町二丁目」の解説

谷町二丁目
たにまちにちようめ

[現在地名]東区谷町一―二丁目

高麗橋こうらいばし筋を挟んで谷町一丁目の南に続く両側横町。東は鉄砲奉行・弓奉行屋敷など。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数三八・役数四八役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は久保田屋長左衛門。安政三年(一八五六)の水帳(大阪市立中央図書館蔵)によれば屋敷数四三、役数四八半役と一分役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。宗旨組合は谷町一丁目に同じ。

延享版「難波丸綱目」によれば、豊島屋庄兵衛は摂津麻田藩・播磨宍粟藩ほか旗本一五家、油屋兵右衛門は近江膳所藩ほか旗本三家、江戸飛脚屋多田屋徳右衛門は武蔵岩槻藩ほか旗本四家、虎屋藤蔵は伊勢亀山藩・常陸下館藩ほか旗本一家の用聞。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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