国指定史跡ガイド 「谷重遠墓」の解説
たにしげとおのはか【谷重遠墓】
高知県香美(かみ)市土佐山田町にある墓所。県道の繁藤西町線東側の丘陵東斜面に所在。江戸時代中期の儒学者として著名な谷重遠は、土佐の人で秦山(じんざん)と号し、山崎闇斎(あんさい)、渋川春海などに従って、儒学、神道、天文暦学を学び、1702年(元禄15)に藩主山内豊房(とよふさ)に召されて藩儒となった。幕末土佐藩の勤皇運動などに大きな影響を与えたが、豊房の没後、藩主の相続問題に絡んだ事件で蟄居(ちっきょ)を命じられ、56歳で急逝。墓石は高さ30cmほどの簡素な自然の河原石であるが、これは大きな墓造りを戒めた谷家の家訓によるものである。1944年(昭和19)に国の史跡に指定された。重遠には『土佐遺語』『土佐国式社考』『泰山集』などの著書がある。JR土讃線土佐山田駅から徒歩約20分。