豊原庄(読み)とよはらのしよう

日本歴史地名大系 「豊原庄」の解説

豊原庄
とよはらのしよう

現邑久町豊原を遺称地とし、当初の庄域は加納を含めると牛窓うしまど町西部および邑久町南部から吉井川左岸に至る一帯に推定されるが、のち加納の立庄などもあって近隣庄郷と錯綜した。建久六年(一一九五)五月七日の官宣旨案(堂本四郎氏所蔵文書)によると、同年四月に奈良東大寺大勧進重源が当庄加納の半不輸地である南北条なんぼくじよう長沼ながぬ神崎かんざき(現岡山市)にある開発田畠の立庄を申請し許可されている。平安末期には当庄の拡大が図られ、かなり広大な加納の地を有していた。建永元年(一二〇六)の慈円起請文(門葉記)に院庁領とみえる。寛元二年(一二四四)二月、当庄預所代官らは当庄祈祷所千手せんず(弘法寺、現牛窓町)領山林に庄民が山木伐採のため入ることを禁じ(「豊原庄庄官禁制案」遍明院文書)、また建長三年(一二五一)一一月には当庄政所平某が同寺内への検断使入部を盗犯・殺害犯の追補を除いて禁じている(「豊原庄政所下文」弘法寺文書)。文永六年(一二六九)九月五日、弘法こうぼう寺は六ヵ郷住人らに堂塔修理の奉加を募ることなど五ヵ条を申請して認められ、同年一〇月に預所中原氏はこれを庄内に下知している(「豊原庄預所下文」弘法寺文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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