平安中期の公卿(くぎょう)藤原実資(さねすけ)(957―1046)の日記。彼の通称小野宮(おののみや)右大臣から名がついた。「おうき」とも読み、『野府記(やふき)』『続水心記』ともいう。978年(天元1)から1036年(長元9)の約60年の長期間にわたるため欠巻も多い。1日の記事が長く、文章が具体的でわかりやすいうえ、実資の解釈や感想が付け加えられているので、貴族の日記として代表的であるだけでなく平安中期の基本的な史料として貴重である。内容は、藤原道長(みちなが)が権力を得てから没するまでの時代と重なるため、道長に関する記事が多いことはもちろんだが、ほかにも受領愁訴(ずりょうしゅうそ)の増加、刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)など多くの興味深い記事を含む。とくに実資が小野宮家の嫡流としての気概をもち道長に迎合せず、批判すべき点ははっきり書いている点に特色がある。
現在実資の自筆本は発見されておらず、平安・鎌倉期の古写本として伏見宮(ふしみのみや)本、前田本、九条本などのほか、江戸時代の新写本として東山御文庫(ひがしやまごぶんこ)本、内閣文庫本などがあり、刊本は『史料大成』(全3巻)、『大日本古記録』(全11巻)に収められている。
また本記とともに重要な史料である『小記(しょうき)目録』は、日記の始まる978年から1032年までの記事の目録をとり、内容別に20巻に分類したもので、18巻が現存する。1033年以後の早い時期に本記の検索の便宜のため作成されたと考えられ、本記の欠落する部分について補うことができる。『史料大成』『大日本古記録』所収。
[吉田早苗]
右大臣藤原実資(さねすけ)の日記。祖父実頼が小野宮と称したのに対して実資は後小野宮と称し,右大臣であったことから《小右記》という。《野府記》《続水心記》とも呼ばれる。982年(天元5)より1032年(長元5)までの記事が伝わるが,中間の欠逸が少なくない。内容は宮廷の政務儀式を中心に,公私両面にわたり詳細な記事を伝えている。《権記(ごんき)》《御堂関白記(みどうかんぱくき)》《左経記(さけいき)》と時期が並行し,相互に対照することにより得るところが多いが,とりわけ《御堂関白記》の記主藤原道長の言動への鋭い批判が随所に見え,権貴におもねることをいさぎよしとしない実資の性格をよく表している。自筆本は伝来しないが,尊経閣文庫所蔵本37巻,宮内庁書陵部所蔵九条家本12巻,同九条家本32巻などの,平安・鎌倉時代書写本がある。このほか,本記より要目をとって年中行事,神事,仏事,臨時などの項目に分類した《小記目録》14巻が書陵部九条家本中に伝わるが,これによれば,本記の記事のはじめは978年までさかのぼることが知られる。《大日本古記録》《増補史料大成》所収。
執筆者:吉岡 真之
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「おうき」とも。「小野宮右大臣記」「野府記(やふき)」「続水心記」「小記」とも。藤原実資(さねすけ)の日記。現存するのは982~1032年(天元5~長元5,一部欠)だが,「小記目録」や逸文などから,977~1040年(貞元2~長久元)に及ぶことが確認される。小野宮流藤原氏に生まれ,養父実頼の邸宅・所領・日記を伝領した実資は,儀式・政務に精通し,権勢を握る九条流の道長らに屈しなかった。筆まめな性格とその政治的地位を反映し,日記は量・質ともに優れている。「大日本古記録」「増補史料大成」所収。
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…男子はなく兄懐平の子の資平を後継者としたが,資産は女子一人に譲与した。日記《小右記(しようゆうき)》は982‐1032年にわたり現存。儀式などの記事は詳細で,政治や世相に対する批判も多くみられ,摂関政治最盛期のとくに重要な史料である。…
※「小右記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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