豊島有経(読み)としま・ありつね

朝日日本歴史人物事典 「豊島有経」の解説

豊島有経

生年生没年不詳
鎌倉前期の武将。関東平氏秩父氏の一族で,武蔵国豊島郡(東京都北区一帯)を本拠とする在地領主。豊島紀伊家の祖。紀伊権守。父は土佐国守護朝経。元暦1(1184)年,源義経に属して上洛し,紀伊国守護に補任されて平氏方の追討に尽力した。『根来要書』には,紀伊国内の寺社領兵糧米や兵士役を賦課して,後白河院から糾弾をうける内乱期守護としての有経の姿が活写されている。守護領三上荘を拠点にして紀伊氏を名乗るが,建久2(1191)年に改替され替地を与えられた。子孫は,陸奥国小田保や丹後国内を伝領し,鎌倉後期に至り豊島本宗家を継承した。<参考文献>豊島区郷土資料館編『豊島氏編年資料Ⅰ』

(海津一朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊島有経」の解説

豊島有経 としま-ありつね

?-? 鎌倉時代武士
豊島朝経の子(弟ともいう)。桓武(かんむ)平氏秩父(ちちぶ)氏の一族で,武蔵(むさし)豊島郡(東京都)の豪族。元暦(げんりゃく)元年(1184)ごろ紀伊(きい)の守護人,のち同国の八条院領三上荘の地頭をつとめた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の豊島有経の言及

【豊島氏】より

…武蔵国豊島郡一帯を本拠とした中世武家。桓武平氏の一流秩父氏のうち豊島郡に進出した武常の一族が,武常の曾孫豊島権守清光の子の代に豊島・葛西両氏に分流。短期間ではあるが土佐国守護の地位にあり,1203年(建仁3)比叡山堂衆との戦闘で討死した朝経が豊島氏を称した。朝経の嫡男朝綱の子時光は,41年(仁治2)豊島荘犬喰名をばくちの賭物としたとがでこれを収公された。その後は鎌倉初期に紀伊国守護,同国三上荘地頭であった有経(朝綱の弟)の系統が発展し,石神井郷を拠点にその勢力を拡大,同族宮城氏から養子をとるなどして家系を維持しつつ,南北朝の動乱とそれに続く上杉禅秀の乱,永享の乱,享徳の乱を乗り切った。…

※「豊島有経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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