貝ノ川村(読み)かいのかわむら

日本歴史地名大系 「貝ノ川村」の解説

貝ノ川村
かいのかわむら

[現在地名]土佐清水市貝ノ川 かい川郷かわごうかい川浦かわうら

片賀須かたかす村の南西、現幡多はた大月おおつき唐岩からいわに源を発して山峡を東南流し、貝ノ川郷尻で海に注ぐ貝ノ川川の河口平地を中心として展開する村。「土佐州郡志」が「貝野川村 東限片賀須村界下之浦川、西限大津村界焼尾崎、南接海、北限大津村中島淵、東西二十五町南北二十町、戸凡三十二、其土黒多砂」と記し、別に貝ノ川浦を項目にあげるように、郷方・浦方に分れていた。


貝ノ川村
かいのかわむら

[現在地名]葉山村貝ノ川・床鍋とこなべ

窪川くぼかわ村の西にあり、「甲斐川」とも書く。鶴松森かくしようもりの東の山地に発して南流し、新荘しんじよう川に注ぐ貝ノ川川に沿った村。新荘川を隔てて約四キロ南にある床鍋が飛地として含まれていたと考えられ、床鍋は俗に貝ノ川床鍋といわれる。天正一六年(一五八八)の津野半山地検帳に「是ヨリ甲斐川」として地積六町八反余、ヤシキ二〇筆が記され、うち四町八反余は津野氏直轄の「公領」で、甲斐川名本の扣、残りは長林ちようりん寺領と津野氏の家臣下元孫五良ら三人の給地。また床鍋の地積は二町四反余、ヤシキ五筆で市川六良左衛門ら三人の給地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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