デジタル大辞泉
「土佐清水市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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土佐清水市
とさしみずし
面積:二六六・五二平方キロ
県の西部最南端に位置し、北は中村市・幡多郡三原村、西は宿毛市・幡多郡大月町、東と南は海に臨む。三原村との境にそびえる今ノ山(八六四・六メートル)を主峰とする渭南山地が直接海に入った地形で、東南に延びた足摺半島は、県東南端の室戸岬と対応して土佐湾を抱く。半島の海岸は沈降海岸だが、所々に海岸段丘が発達し、先端の足摺岬は三段の段丘がある。同所には足摺山金剛福寺がある。山並は急峻でなく、さして高くもないが、海岸線は激しい海食・風食によって断崖絶壁をなしているところが多い。足摺岬のほか臼碆、竜串、千尋岬の見残し、叶崎など景勝地に富み、足摺宇和海国立公園の中核的位置を占める。
渭南山地から流れ下る河川には大河川はなく、下ノ加江川を最大として益野・三崎・宗呂などの河川と小河川の河口付近に主たる集落の発達がみられる。市域の経済は歴史的に漁業に依存するところが大きく、交通も船便が主であった。足摺岬の伊佐を中心に古代は鯨野郷(和名抄)と称され、清水湊は中世「南海之津」とよばれ、異国船の入津を伝える(→清水湊)。海岸地帯には中世後期、数多くの漁浦が成立するが、江戸時代には足摺半島東海岸の大岐から大谷までを上灘といい、西海岸の伊佐から養老までの七浦を鼻前七浦とよんだ。なお養老を除く清水までを別に鼻前六ヵ浦(足摺六ヵ浦)ともいう。
市名は当地方の中心、清水によるが、市制施行に当たってすでに静岡県に清水市があったため、旧国名を冠した。
〔原始〕
縄文時代の
状耳飾を出土した松尾唐人駄馬遺跡、後期縄文土器の標式の一つ下益野式土器を出土した下益野遺跡、後期初頭の配石土壙墓が発見された片粕遺跡、縄文後期から弥生時代にかけての下ノ加江遺跡をはじめ、市域の段丘・台地上に点々と遺跡がみられる。古墳は一基もなく、わずかに市野々五味遺跡の出土遺物のなかに古墳時代の土師器片と須恵器片をみるのみである。
〔古代・中世〕
波多国造の配下にあった時代を経て、前述のように「和名抄」にみえる幡多郡五郷のうち、鯨野郷が市域にあった。応徳二年(一〇八五)一一月一二日付福良専当外二名連署堺定書(安芸文書)は荘園の存在を示すものであるが、その文中に加久見・宗呂など現市域の地名がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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土佐清水〔市〕
とさしみず
高知県の南西端,渭南山地南東部にある市。1954年清水町,三崎町,下ノ加江町,下川口町の 4町が合体して市制。中心市街地の清水は,足摺半島の基部にあり,バス交通の要地。清水港は天然の良港で,マグロ,カツオなどの遠洋漁業の基地として繁栄したが,今日では一本釣りと沿岸延縄漁業を中心とする近海漁業基地になっている。かつお節製造が盛んで,土佐かつお節の主産地。また,以布利,窪津はかつての捕鯨基地として知られる。農業は耕地率が低く,野菜,柑橘類の栽培が主。市域には松尾のアコウ自生地,唐船島の隆起海岸,千尋岬の化石漣痕(いずれも国の天然記念物)があり,また,足摺岬,竜串,見残し海岸などの景勝地が多く,足摺半島と海岸の大部分が足摺宇和海国立公園に属する。半島西海岸の中ノ浜は,江戸末期に漂流してアメリカ合衆国へ渡った中浜万次郎の出身地。海岸部を国道321号線が通じる。面積 266.34km2。人口 1万2388(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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