貝森村(読み)かいもりむら

日本歴史地名大系 「貝森村」の解説

貝森村
かいもりむら

[現在地名]三戸貝守かいもり

猿辺さるべ川の中流流域に位置する。ほとんどが山地に覆われ、北に高堂たかどう(五三九・二メートル)、西にドコノ森(八〇三・七メートル)などがそびえる。東は袴田はかまだ村、北は蛇沼じやぬま村、南は斗内とない村と田子たつこ(現田子町)に接する。永正(一五〇四―二一)の頃の糠部九箇部馬焼印図(古今要覧稿)の「三ノ部」の項に「かやもり印くわかた本文字」とあり、この頃には牧野が開設されていたものとみられる。戦国時代より三戸南部氏の配下に入り、天正(一五七三―九二)の頃には貝森館に貝森氏が居館したとされる。

正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に貝森村、二一六石余とあり、同年の郷村帳によれば二一六・四八二石のうち一一一・一一一石が畑であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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