三戸町(読み)さんのへまち

日本歴史地名大系 「三戸町」の解説

三戸町
さんのへまち

面積:一五一・七七平方キロ

三戸郡の南部に位置し、東は名川ながわ町、西は田子たつこ町、南は岩手県二戸にのへ市、北は南部なんぶ町と新郷しんごう村に接する。西北部は奥羽山脈支脈にあたって山岳地を形成し、東部は馬淵まべち川とその支流熊原くまはら川と猿辺さるべ川の河谷にあたり、やや平坦な地形となっている。馬淵川は町の東端を北流し、これに熊原川と猿辺川が町の中央部を東流して東北部で合流する。国道四号が町の東部を南北に縦断して二戸市と南部町を結び、これに国道一〇四号が西から合流して当町と田子町を結んでいる。


三戸町
さんのへちよう

[現在地名]盛岡市本町通ほんちようどおり三丁目・中央通ちゆうおうどおり二―三丁目

仁王におう小路の北から赤川あかがわまでの南北四町半ほどの町人町(「盛岡砂子」など)。東は仁王新小路、西は北から田地なが町・帷子かたびら小路・平山ひらやま小路に接する。赤川は当町北詰の横町、西の上田うえだ組町入口より東の四ッ家よっや町門までの一町ほどの町人町で、三戸町の内であった(同書)。内史略本「盛岡砂子」によると、かつては町と称し、文化九年(一八一二)三戸丁と改称されたとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三戸町」の意味・わかりやすい解説

三戸〔町〕
さんのへ

青森県南東部,岩手県境にある町。 1889年町制。 1955年留崎 (とめさき) ,斗川 (とがわ) ,猿辺 (さるべ) の3村を合併。馬淵 (まべち) 川およびその支流の熊原川,猿辺川の谷,および周囲の低い山地帯から成る。中心集落は陸羽街道 (→奥州街道 ) の旧宿場町。文治5 (1189) 年南部氏の所領となり,3代目時実のとき城山築城,元和5 (1619) 年盛岡へ移るまでの盛岡藩城下町として発展。谷底平野には水田が分布し,段丘や傾斜地ではリンゴ多産西部の丘陵地は牧草地として利用,養鶏,養豚も盛ん。三戸城址,名刹長栄寺などの名所,史跡がある。青森市に向かう国道4号線,大館市 (秋田県) 方面へ通じる国道 104号線の分岐点にあたり,JR東北本線の便もあって交通網は比較的発達している。面積 151.79km2。人口 9082(2020)。

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