日本歴史地名大系 「貝谷村」の解説 貝谷村かいやむら 茨城県:結城郡八千代町貝谷村[現在地名]八千代町貝谷川尻(かわじり)村の南に所在。後背地は古来鬼怒(きぬ)川の乱流により形成された広い沖積地水田。文禄三年(一五九四)当村の土豪杉山大隅守は野口豊前守とともに光蔵(こうぞう)院に寺領を寄進(杉山大隅守野口豊前守連署黒印状写)。「寛文朱印留」によれば土井利益(のち古河藩主)領。安永五年(一七七六)三月、貝谷村名主団治・組頭庄兵衛・百姓代源左衛門は豊田(とよだ)村(現石下町)役人・中居指(なかいざし)村(現下妻市)役人と連名で、境町(現猿島郡境町)の利左衛門・七左衛門に「女馬腰弱馬等殊ニ多ク(中略)大切御用勤方甚無心元」きを理由に日光東街道谷貝(やがい)宿(現猿島郡三和町)への助郷の免除を依頼している(北下総地方史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報