財部静治(読み)タカラベ セイジ

20世紀日本人名事典 「財部静治」の解説

財部 静治
タカラベ セイジ

明治〜昭和期の統計学者 京都帝国大学教授



生年
明治14(1881)年1月3日

没年
昭和15(1940)年7月7日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
京都帝大法科大学政治学科卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
二高を経て、京都帝大に進み経済学を専攻。統計学の研究を行い、ドイツフランス米国に留学し、大正4年母校である京都帝大教授に就任。のち経済学部長。日本における統計学の先駆者の一人で、蜷川虎三ら多くの後進を育てた。京都大学に財部文庫がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「財部静治」の解説

財部静治

没年:昭和15.7.7(1940)
生年:明治14.1.3(1881)
明治大正期,日本統計学の草分けのひとりで数理的方法を活用した社会統計学の確立者。薩摩国(鹿児島県)鹿児島郡皷川町に士族次男として出生。二高から京都帝大法科大学政治学科に進み経済学を専攻し卒業。同大学にて統計学を研究し,独,英,米に留学後大正4(1915)年,統計学担当の教授。国勢調査の実施と並んで,私経営統計に着目し,所得などの階層別集計に満足せず地域的な分布の重要性に着目。経済思想から本草学に至る内外文献に通じ,自由主義的な教育方法によって蜷川虎三ら多くの後進を育成し財部文庫(京都大学)を残す。国際統計協会正会員。超俗的生活を愛し酒を嗜む。河上肇辞職時(1928)の経済学部長。<参考文献>大橋隆憲『日本の統計学』

(池上惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「財部静治」の解説

財部静治 たからべ-せいじ

1881-1940 明治-昭和時代前期の統計学者。
明治14年1月3日生まれ。独,英,米に留学し,大正4年母校京都帝大の教授となり統計学を担当。蜷川虎三(にながわ-とらぞう)らおおくの弟子をそだて,また財部文庫をのこした。昭和15年7月7日死去。60歳。鹿児島県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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