蜷川虎三(読み)ニナガワ トラゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「蜷川虎三」の解説

蜷川 虎三
ニナガワ トラゾウ


専攻分野
統計学

肩書
元・京都府知事,京都大学名誉教授

生年月日
明治30年2月24日

出生地
東京・深川入船町

学歴
水産講習所(現・東京水産大)〔大正6年〕卒 京都帝大経済学部〔大正12年〕卒 京都帝大大学院経済統計学専攻修了

学位
経済学博士〔昭和10年〕「統計利用における基本問題」

経歴
生家は材木商。昭和2年京都帝大助教授、3年から2年間ドイツに留学、14年教授となり、20年はじめから1年ほど経済学部長を務めた。23年芦田内閣のとき中小企業庁の初代長官に就任。第2次吉田内閣の25年2月に辞任し、同年4月京都府知事選に社会党公認、共産党労組を含む全京都民主戦線統一会議(民統)推薦で立候補し初当選、全国初の革新知事となった。2期以降は無所属で当選しており、連続7期28年間京都府知事の座を守り続けた。7選は当時では初の多選記録、また28年間、“反中央、反権力”の姿勢を貫き通した。統計学専攻の経済学博士で、著書に「統計利用における基本問題」「水産経済学」「統計学概論」「中小企業と日本経済」「憲法を暮らしの中に」などのほか、「蜷川虎三回想録」がある。

没年月日
昭和56年2月27日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「蜷川虎三」の解説

蜷川 虎三
ニナガワ トラゾウ

昭和期の経済学者,政治家 元・京都府知事;京都大学名誉教授。



生年
明治30(1897)年2月24日

没年
昭和56(1981)年2月27日

出生地
東京・深川入船町

学歴〔年〕
水産講習所(現・東京水産大)〔大正6年〕卒,京都帝大経済学部〔大正12年〕卒,京都帝大大学院経済統計学専攻修了

学位〔年〕
経済学博士〔昭和10年〕「統計利用における基本問題」

経歴
生家は材木商。昭和2年京都帝大助教授、3年から2年間ドイツに留学、14年教授となり、20年はじめから1年ほど経済学部長を務めた。23年芦田内閣のとき中小企業庁の初代長官に就任。第2次吉田内閣の25年2月に辞任し、同年4月京都府知事選に社会党公認、共産党や労組を含む全京都民主戦線統一会議(民統)推薦で立候補し初当選、全国初の革新知事となった。2期以降は無所属で当選しており、連続7期28年間京都府知事の座を守り続けた。7選は当時では初の多選記録、また28年間、“反中央、反権力”の姿勢を貫き通した。統計学専攻の経済学博士で、著書に「統計利用における基本問題」「水産経済学」「統計学概論」「中小企業と日本経済」「憲法を暮らしの中に」などのほか、「蜷川虎三回想録」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「蜷川虎三」の意味・わかりやすい解説

蜷川虎三
にながわとらぞう
(1897―1981)

経済学者、京都府知事。東京・深川に生まれる。農商務省水産講習所卒業後、京都帝国大学経済学部入学。1927年(昭和2)京大助教授となり、ドイツ留学などを経て、統計学者として活躍。『統計利用に於(お)ける基本問題』で経済学博士。1942年教授、1945年経済学部長。1946年自らの戦争責任を反省し学部再建のために辞表提出。1948年初代中小企業庁長官となるが、1950年吉田茂首相と衝突し辞任。同年4月民主統一会議推薦・社会党公認で京都府知事に当選、以後連続7選。憲法擁護を基本に、中小企業の保護育成、稲作減反政策反対、教員の勤務評定不実施など独自の府政を行い、全国革新首長のかなめとして1978年引退まで京都府のみならず、戦後地方自治体に大きな影響を与えてきた。

[小田部雄次]

『蜷川虎三著『洛陽に吼ゆ――蜷川虎三回想録』(1979・朝日新聞社)』『細野武男・吉村康著『蜷川虎三の生涯』(1982・三省堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蜷川虎三」の意味・わかりやすい解説

蜷川虎三
にながわとらぞう

[生]1897.2.24. 東京
[没]1981.2.27. 京都
京都府知事。水産講習所,京都大学を卒業。 1927年に京都大学助教授,39年同教授,統計学を講じた。 45年経済学部長,第2次世界大戦敗戦後戦争責任を唱え退官。 48年芦田内閣で新設の中小企業庁長官となる。 50年,中小企業の「3月危機説」を唱え吉田首相に罷免された。同年,革新勢力に推され京都府知事に当選。以来7選。在任 28年に及んだ。京都革新府政は全国革新自治体のさきがけであり,蜷川の強烈な個性業績は,地方自治史に特筆されよう。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜷川虎三」の解説

蜷川虎三 にながわ-とらぞう

1897-1981 昭和時代の経済学者,政治家。
明治30年2月24日生まれ。昭和14年母校京都帝大の教授。23年初代中小企業庁長官となるが,25年吉田茂首相と衝突して辞任。同年社会党公認で京都府知事に当選,以後連続7選。「憲法を暮らしの中に」をかかげ,教員の勤務評定反対,減反政策反対など独自の府政を推進した。昭和56年2月27日死去。84歳。東京出身。著作に「統計学研究」など。

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367日誕生日大事典 「蜷川虎三」の解説

蜷川 虎三 (にながわ とらぞう)

生年月日:1897年2月24日
昭和時代の経済学者;政治家。京都府知事;京都帝国大学教授
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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