賀儀城跡(読み)かぎじようあと

日本歴史地名大系 「賀儀城跡」の解説

賀儀城跡
かぎじようあと

[現在地名]竹原市忠海町

宮床みやとこ浦の東端海上に突き出した標高二五メートルの小丘上にあり、沼田小早川宣平の子孫浦宗勝の居城で、室町時代中期の築成とされる。「国郡志下調書出帳」は「四方なめら山嶮にして高さ凡拾六間、山上平地、上の段広さ凡五百坪、次の段広さ凡百六十坪、昔は三方海、西の方地続、南は海峰、嶽々として登るべき処なし」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む