竹原市(読み)タケハラシ

デジタル大辞泉 「竹原市」の意味・読み・例文・類語

たけはら‐し【竹原市】

竹原

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「竹原市」の解説

竹原市
たけはらし

面積:一一七・四四平方キロ

広島県の中央やや東寄りの南部、瀬戸内海沿海部と、南流する賀茂川流域一帯を市域とし、その河口付近に中心がある。かつての豊田郡賀茂郡の各一部からなり、東は三原市、北は豊田郡本郷ほんごう町・賀茂郡河内こうち町・東広島市、西は豊田郡安芸津あきつ町に囲まれる。市域東部には黒滝くろたき(二六六メートル)平家へいけ(三八二・八メートル)岩見いわみ(四〇三・四メートル)など、北にふじひら(四〇九・三メートル)、西につつみ(五一五・九メートル)朝日あさひ(四五四・一メートル)などの山がそびえ、高度四〇〇―五〇〇メートルの山に囲まれる。田万里たまり川・葛子かずらこ川などの支流をもつ賀茂川を中心に、大砂おおすな川・大乗おおのり川・内浜うちはま川・ごう川・曾井そい川などが瀬戸内海に流入し、その下流域には沖積地や干拓地がみられる。

竹原の名は、寛治四年(一〇九〇)京都下鴨社(賀茂御祖神社)に寄進された荘園の一として「安芸国竹原庄 四十町」がみえる(賀茂社古代庄園御厨)。近世の「国郡志下調書出帳」は「竹原と申ハ此辺之惣名ニ御座候、当所竹原之川下ニ市町を成シ候ニ附、下市又竹原町と申候、竹原之名古キ事と相見ヘ申候、建久甲寅之年、竹原東野村之城を築、後藤兵衛実基を城主ニいたし竹原殿と申候儀、旧記ニ相見申候」と伝えている。

〔原始・古代〕

市域内には縄文後期の遺跡として田万里町の風呂ふろさこ遺跡がある。弥生時代になると遺跡も増加し、沿岸部の吉名よしな町に観音谷かんのんだに諏訪谷すわだにの両遺跡、下野しもの町に宿郷すくごう遺跡・来須くるす遺跡、竹原町に鳳伏山ほうふくざん遺跡、高崎たかさき町に西にしさこ遺跡、忠海ただのうみ町に長浜ながはま遺跡などが点在するが、賀茂川流域の田万里・西野にしの新庄しんじよう東野ひがしのにかけても遺跡が集中し、石斧・石鏃・土器片などが出土している。古墳時代には前期の茶臼山ちやうすやま古墳(西野町)小梨おなし古墳(小梨町)、次いで六世紀頃のものとされる田万里町の鏡田かがみでん古墳群があり、同古墳群には殯台と考えられる石台がある。横穴式石室をもつ後期のものとして新庄町の横大道よこだいどう古墳群、西野町の大判おおばん一―二号墳・世里木せりき古墳・宝器ほうき一―二号墳、田万里町の火釜ひのかま古墳・後田うしろだ古墳、東野町青田あおだ古墳など横大道から中田万里なかたまりの間の賀茂川沿いに集中する。このうち横大道一号墳は規模も大きく、金冠の残欠・金環・馬具などが出土し、この地方を治めた支配者のものといわれる。

和名抄」記載の安芸国沼田ぬた郡の郷のうち都宇つう郷は新庄の横大道付近に、今有いまり郷は市域東海岸部の忠海町から三原市須波すなみ町・幸崎さいざき町辺りに比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹原市」の意味・わかりやすい解説

竹原〔市〕
たけはら

広島県南部,瀬戸内海にのぞむ市。 1958年竹原町と忠海町が合体して市制。大久野島,阿波島を市域に含む。中心市街地の竹原は,賀茂川の三角州に位置し,戦国時代の武将小早川氏の発祥地。江戸時代に塩田が開かれ,港町として発展し,頼山陽らの文人が輩出した。東部の忠海は三次藩の外港として栄え,豊田郡役所がおかれた。 1935年呉線が開通し,それを機に金属製錬所が立地したのが近代工業都市への出発点となった。 55年の塩田廃止後,その跡地は工場用地や市街地となり造船,食品工場が進出。一部は特産の竹原ぶどうの栽培に利用されている。伝統の酒造業も盛ん。芸予諸島や四国への航路が開ける。かつての毒ガス製造の大久野島は,現在は国民休暇村として再生した。一部の町並みは国の伝統的建造物保存地区。忠海八幡神社社叢と阿波島付近の「スナメリクジラ廻遊海面」は天然記念物に指定。 JR呉線のほか国道2号線,185号線,432号線が通じる。面積 118.23km2。人口 2万3993(2020)。

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