賀屋庄(読み)かやのしよう

日本歴史地名大系 「賀屋庄」の解説

賀屋庄
かやのしよう

夢前川上流域の谷を庄域とする庄園。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)に賀屋庄とみえ、京都新熊野いまくまの社領の当庄は種々の一国平均役が免除されている。元亨二年(一三二二)には当庄が安楽光あんらくこう(現京都市上京区)領であるかどうかが問題となっている(「花園天皇日記」同年閏五月六日条ほか)。延文五年(一三六〇)の造内宮役夫工米未納庄々注文写(教王護国寺文書)に「かやの庄しんしやう、ほんしやう、あ□の」とみえ、賀屋庄は新庄本庄・「あ□の」の三地域から構成されていたと考えられる。新庄では文和元年(観応三年、一三五二)九月二六日および一二月八日に赤松則祐軍と南朝軍の合戦があった(同二年三月日「安積盛兼軍忠状」安積文書)。応永三〇年(一四二三)守護赤松氏は山村五郎左衛門尉跡の賀屋庄公文職半分を播磨国一宮である伊和いわ神社(現宍粟郡一宮町)に寄進している(同年五月三日「小河玄助・貞政連署遵行状案」伊和神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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