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万里小路時房 までのこうじ ときふさ

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美術人名辞典の解説

万里小路時房

公卿。本姓藤原。号は蓮聖院。内大臣嗣房の子。参議・権中納言権大納言を経て従一位内大臣に至る。長禄元年(1457)歿、64才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

万里小路時房 までのこうじ-ときふさ

1395*-1457 室町時代の公卿(くぎょう)。
応永元年12月27日生まれ。万里小路嗣房(つぐふさ)の子。応永23年参議兼左大弁。32年権(ごんの)大納言,正長(しょうちょう)元年武家伝奏(てんそう)となる。のち内大臣,従一位。長禄(ちょうろく)元年11月20日死去。64歳。法号は建聖院。日記に「建内記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

万里小路時房

没年:長禄1.11.20(1457.12.6)
生年:応永1.12.27(1395.1.18)
室町前期の公卿。法号建聖院。内大臣嗣房の子。5歳のときに父を失い,義兄豊房がいたが時房が家督になった。応永8(1401)年叙爵,同18年右少弁蔵人,翌年左少弁,同21年左大弁蔵人頭となり,同23年23歳で参議,翌々年従三位に叙せられ,名実ともに公卿に列した。同26年権中納言,同32年権大納言,その前に位も従二位と昇っていた。正長1(1428)年足利義教が将軍になったときに武家伝奏になり,義教の専制政治の下で公武間の調停役をなし,嘉吉の変(1441)後の重要時期にも公家側の中心として働いた。文安2(1445)年12月末やっと内大臣になったが,翌年1月にはもう辞任した。晩年には一門の勧修寺流長者ともなり,宝徳2(1450)年には従一位に叙せられた。日記を『建内記』といい,嘉吉の変はじめ当時の政治,社会,経済の重要史料となっている。

(飯倉晴武)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の万里小路時房の言及

【建内記】より

…室町時代の貴族の日記。記主は,勧修寺流藤原氏出の建聖院内府万里小路(までのこうじ)時房(1394‐1457)。1414年(応永21)‐1455年(康正1)が断続して現存するが,とくに永享(1429‐41)末年から嘉吉・文安年間(1441‐49)の部分は,集中的に原本が残っている。…

※「万里小路時房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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