朝日日本歴史人物事典 「万里小路時房」の解説
万里小路時房
生年:応永1.12.27(1395.1.18)
室町前期の公卿。法号建聖院。内大臣嗣房の子。5歳のときに父を失い,義兄豊房がいたが時房が家督になった。応永8(1401)年叙爵,同18年右少弁蔵人,翌年左少弁,同21年左大弁蔵人頭となり,同23年23歳で参議,翌々年従三位に叙せられ,名実ともに公卿に列した。同26年権中納言,同32年権大納言,その前に位も従二位と昇っていた。正長1(1428)年足利義教が将軍になったときに武家伝奏になり,義教の専制政治の下で公武間の調停役をなし,嘉吉の変(1441)後の重要時期にも公家側の中心として働いた。文安2(1445)年12月末やっと内大臣になったが,翌年1月にはもう辞任した。晩年には一門の勧修寺流長者ともなり,宝徳2(1450)年には従一位に叙せられた。日記を『建内記』といい,嘉吉の変はじめ当時の政治,社会,経済の重要史料となっている。
(飯倉晴武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報