山岳に宗教的意味を与えて崇拝し,また山岳を対象として種々の儀礼を行うことをいう。古来山岳は世界各地で精霊,神々,悪魔などの住む場所として畏敬されてきた。さらに祖霊のすみか,天と地を結ぶ軸,宇宙そのものと信じられた。山岳は修行,祈願,啓示,託宣,祭りなどがなされる場所でもあった。そのこともあって山頂,山麓などには,祭場,社寺,祠,墓などが作られ,巡拝者が訪れることも多かった。こうした山岳信仰は世界各地の諸宗教に認められる。
未開宗教では山岳は神霊の居処と信じられ,雨乞いや豊饒の祭りが行われた。古代ギリシアでは自然現象を支配するゼウスをはじめとする諸神がまつられたオリュンポス山が有名である。また古代バビロニアでは山を築いてエンリルをまつり,古代エジプトでは山は死者の国に行く道と考えられた。中国では,泰山,華山,衡山,恒山,嵩山の五岳の信仰が有名である。このうち山東半島の泰山は道教の山として知られ,数多くの道士が仙薬を求めて入山修行した。道教の山には,このほか西方の他界とされた崑崙(こんろん)山,仙人のすみかとされた蓬萊,方丈,瀛洲の三神山がある。インドには数多くの霊山があったが,とくにヒマラヤは悪魔,魔女,妖精,死者が住むところとしておそれられた。そして数多くの聖者や禁欲修行者がこれらの霊山に入って修行した。このほかチベットのカイラス山も霊山として知られている。
仏教の山岳観としてはヒマラヤの信仰をもとにした須弥山(しゆみせん)が有名である。須弥山は世界の中心にそびえる高さ八万由旬の山で,山頂には帝釈天,山腹には四天王が居し,日月がその周囲を回るとされている。この須弥山信仰は寺院で仏像を安置する場所を須弥壇と呼ぶことからわかるように広く仏教で信じられている。日本の弥山(みせん),妙高山などの名をもつ霊山はこの須弥山信仰に基づくものである。山岳信仰はユダヤ教ではモーセが十誡を授かったシナイ山,キリスト教ではイエスが磔になったゴルゴタの丘への信仰などのように,西欧でも広く信じられ,修道院は山岳に作られることが多かった。イスラム教でもメッカの北東にあるアラファートの丘があがめられ,巡礼者が訪れて祭りを行っている。
日本では古来山岳は,神霊のすまう他界としてあがめられ,山麓で祭祀が行われた。その神霊は農耕生活を守る水分(みくまり)神,あるいは,祖霊と考えられた。もっとも山中で生活する猟師たちは山の神を獲物を与えてくれる女神としてあがめている。これらの信仰は現在も民間信仰として広く行われている。山麓での山の神祭祀はのちには神社神道にと展開していった。鎮守の森や小高い丘を背後にもつ神社のたたずまいは山岳信仰の面影を今に伝えるものである。こうした中では,とくに本殿を設けず,拝殿から直接山岳を拝する神体山信仰が注目される。大神(おおみわ)神社(奈良),金鑽(かなさな)神社(埼玉),諏訪神社(長野)などはこの代表的な例である。
奈良時代になると仏教や道教の影響を受けた仏教者が他界とされた山岳に入って修行するようになった。もっとも奈良仏教の主流は都市の学問仏教で,山岳修行者には法華持経者や在俗の優婆塞(うばそく),優婆夷(うばい)が多かった。しかし,平安時代,最澄が比叡山,空海が高野山を開いてからは山岳に寺院が作られ,山岳仏教が栄えていった。とくに験力の獲得をめざす密教僧や念仏聖などが山林に隠棲して修行することが多かった。また山を死霊のすまう他界とする信仰と仏教の祖霊供養がむすびついて,山岳の寺院に死体の一部を納めてその菩提をとむらうという信仰があみ出されもした。高野山(和歌山),立石寺(りつしやくじ)(山形),恐山(青森)などはこの代表的な例である。
平安時代中期以降になると,山岳修行をして験力を獲得し,呪術宗教的な活動を行う者が修験者あるいは山伏と呼ばれるようになった。とくに熊野や吉野の金峰山(きんぷせん)には修験者が数多くあつまった。彼らは奈良時代のすぐれた山岳修行者役小角(えんのおづぬ)を開祖に仮託して修験道といわれる宗教を作りあげた。その後中世期には熊野の修験者は京都の聖護院を本山として本山派,金峰山の修験者は醍醐三宝院とむすびついて当山派と呼ばれる宗派を形成した。また羽黒山(山形)や英彦(ひこ)山(福岡)などの諸山は独自の開祖を持つ宗派を形成した。
江戸時代になると,富士,木曾の御岳など,全国各地の霊山に一般庶民が直接講をつくって登拝するようになっていった。明治時代になるとこれらのうち御岳登拝者は御岳教,富士山登拝者は丸山教,扶桑教,実行教などの教派神道をつくりあげていった。このように山岳信仰は日本の諸宗教に大きな影響を及ぼしているのである。
執筆者:宮家 準
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山岳に宗教的意味を与えて崇拝し、種々の儀礼を行うことをいう。古来、山岳は世界各地で精霊、神々、悪魔などの居所として畏敬(いけい)されてきた。さらに祖霊のすみか、天と地を結ぶ軸、宇宙そのものと信じられた。山岳は修行・祭り・啓示・託宣などがなされる場所でもあった。こうしたことから山頂や山麓(さんろく)などには、祭場・寺社・祠(ほこら)・墓などがつくられ、巡拝者が訪れることも多かった。
山岳信仰は世界の諸宗教にみることができる。未開社会では山岳は神霊のすみかとされ、雨乞(あまご)いや豊饒(ほうじょう)の祭りが行われた。古代宗教でも、山岳信仰は、ゼウスをはじめとする神神がいるとされたギリシアのオリンポス山の信仰、バビロニアで山を築いてエンリルを祀(まつ)る祭り、エジプトの死者の国への道としての山岳の信仰などにみることができる。また東洋では、中国の泰山(たいざん)・霍山(かくざん)・華山(かざん)・恒山(こうざん)・嵩山(すうざん)の五岳(ごがく)の信仰、道教の他界である崑崙(こんろん)山、仙人のすみかとされた蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)の三神山の信仰、インドの聖なる山ヒマラヤ、チベットのカイラス山信仰などが広く知られている。ヒマラヤの信仰は仏教に摂取されて、須弥山(しゅみせん)中心の宇宙観を生み出した。須弥山は宇宙の中心をなす山岳で、高さ800由旬(ゆじゅん)、山頂には帝釈天(たいしゃくてん)、山腹には四天王が住み、日月がその周囲を回り、人間は九山八海を隔てた周囲にある四つの島に住むとされたのである。わが国でも妙高(みょうこう)山、弥山(みせん)などの山名はこの須弥山を意味している。山岳信仰は、ユダヤ教のモーセが十戒を授かったシナイ山信仰、キリスト教のイエスが磔(はりつけ)になったゴルゴタの丘の信仰、イスラム教の聖地メッカ近くのアラファト山の信仰などのように、他の普遍宗教にも認めることができる。
[宮家 準]
日本でも古来、山岳は神霊の住む霊地として崇(あが)められた。その神霊は農民たちには水田稲作を守る水分(みくまり)の神や祖霊とされ、山中の猟師たちには獲物を授けてくれる山の女神と信じられた。そして農民は山麓で、猟師たちは山中で祭りを行った。農民たちの山の神祭祀(さいし)はやがて神社神道(しんとう)に引き継がれ、村の背後の小丘を神の居所として山麓に祠をつくって祀る神社祭祀となっていったのである。さらに大神(おおみわ)神社(奈良県)、金鑽(かなさな)神社(埼玉県)、諏訪(すわ)神社(長野県)などのように、山自体を神体として、拝殿から直接拝する神体山信仰の形態をとるものも現れた。
奈良時代には、仏教や道教の影響を受けて入山修行をする者も多かった。そして最澄(さいちょう)、空海により山岳仏教が提唱されるにつれて、山岳寺院がつくられ、山岳はとくに、天台、真言(しんごん)の密教僧たちの修行道場となっていった。こうした密教僧のうち、とくに験力を修めた者は修験(しゅげん)とか山伏(やまぶし)とよばれた。修験者は大和(やまと)(奈良県)の大峰(おおみね)山などの山岳で修行した。やがて、古代末ころになると、修験者たちは奈良時代の優れた山岳修行者役小角(えんのおづぬ)を開山にいただいて修験道とよばれる宗教をつくりあげていった。中世期には修験者は、吉野(よしの)(奈良県)、熊野(くまの)(和歌山県)、羽黒(はぐろ)(山形県)、英彦山(ひこさん)(福岡県)、白山(石川・岐阜県)など各地の霊山を拠点として、山野を跋渉(ばっしょう)し、宗教面のみでなく、政治・軍事の面でも大きな力をもっていた。しかし近世以降は村々に定着し、呪術(じゅじゅつ)宗教的な活動に従事した。
近世期には一般庶民たちも講(こう)を結んで山岳に登るようになっていった。とくに富士山、木曽(きそ)の御嶽(おんたけ)山、出羽(でわ)三山、大峰山、三峰(みつみね)山(埼玉県)、石鎚(いしづち)山(愛媛県)、英彦山などは多数の信者を集めていった。明治期になると政府は神仏を分離し修験道を廃止したので、修験者は天台か真言の仏教教団に所属した。このおり神職になったり帰農した修験者も多かった。しかし第二次世界大戦後は修験教団が独立し、各地の山岳霊場にも数多くの登拝者が集まっている。
[宮家 準]
『和歌森太郎著『山岳宗教の成立と展開』(1975・名著出版)』▽『桜井徳太郎著『山岳宗教と民間信仰の研究』(1976・名著出版)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
山に対する信仰の総称で,特定の山を崇拝して種々の儀礼を行うこともいう。日本の山岳信仰の根底には,山容や火山の爆発からうける神秘性や畏敬畏怖の念,農耕に不可欠な水の供給源の聖地としての観念,死霊や祖霊のすむ他界としての観念などがみられる。山そのものを神体としたり,山の神と田の神が交代する信仰や山人伝承,死霊が山にとどまり祖霊化する信仰などは,こうした観念にもとづく。のちに仏教と接することでより複雑化した。山中他界の信仰と仏教の死者供養とが結びつき山岳寺院に死体の一部を納める信仰が奈良時代にうまれ,平安中期以降山岳修行により呪術的な力を獲得して宗教活動をする山伏(修験者)が出現して,日本の山岳信仰を特徴づけた。修験者の指導によって講が組織され,本来仰ぎみる信仰対象であった山岳は,しだいに参詣登拝の対象となる。霊山・名山の多くは江戸時代に庶民の登拝対象になった。明治期以降うまれた多数の教派神道は,こうした山岳を拠点としている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…大筋において分類しても,(1)山自体を神とみなす場合,(2)特定の山を支配・管掌する神を認める場合,(3)山に住む諸霊を畏怖する例などがある。(1)は自然崇拝の一環としての山岳信仰であるが,アメリカ・インディアン諸族が特異な形をした山や岩を神そのものとみなして信仰の対象としたことや,日本古来の神体山崇拝などがその例である。(2)では,インドのトダToda族が,彼らの神々がそれぞれ周辺の峰々を個別に占めているとして,それぞれ頂上に環状列石(ストーン・サークル)や石塚(ケルン)などを築く事実や,アフリカのマサイMasai族が,彼らの神ヌガイNgaiはキリマンジャロの雪をすみかにしていると信じていることなどがあげられよう。…
…日本列島には各地に霊山が存在するが,そのほとんどの山中に阿弥陀が原や賽(さい)の河原などとならんで地獄谷といった地名がつけられている。これは古くからの山岳信仰と仏教とが習合した結果つくりあげられた山中他界観であって,その後の日本人の信仰に大きな影響を与えた。そのためたとえば中世の《地獄草紙》や近世の《立山曼荼羅》などからもわかるように,地獄の景観が山岳世界に求められることが多い。…
※「山岳信仰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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