デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀川肇」の解説 賀川肇 かがわ-はじめ ?-1863 幕末の公卿(くぎょう)千種(ちぐさ)家の雑掌(ざっしょう)。京都所司代酒井忠義の用人三浦七兵衛と親交があり,忠義,七兵衛と主人千種有文(ありふみ)との間を斡旋(あっせん)。それらのことで尊攘(そんじょう)派ににくまれ,伊舟城(いばらき)源一郎らに文久3年1月28日斬殺された。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「賀川肇」の解説 賀川肇 没年:文久3.1.28(1863.3.17) 生年:生年不詳 幕末の千種家雑掌。和宮降嫁に荷担したとして,伊舟城源一郎ら尊攘派に殺害される。首は白木の三方に載せられ徳川慶喜の宿舎東本願寺に,両腕は千種有文邸,岩倉具視邸に送られた。身体の一部が脅迫の道具に使われたわけである。 (井上勲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by