賀舎庄(読み)かやのしよう

日本歴史地名大系 「賀舎庄」の解説

賀舎庄
かやのしよう

佐伯さえき(和名抄)域に立荘されたと推定され、亀岡市本梅ほんめ東加舎ひがしかや・西加舎一帯に比定されるが確定しがたい。

康治二年(一一四三)四月一四日付丹波国諸荘園目録(陽明文庫所蔵「兵範記」仁安四年夏巻裏文書)に、

<資料は省略されています>

とみえるのが早い。これによれば賀舎庄は今林いまばやし(現船井郡園部町)とともに法性寺関白藤原忠通の女皇太后藤原聖子(皇嘉門院)の所領であった。しかし忠通の三男藤原(九条)兼実の日記「玉葉」治承三年(一一七九)九月一日条に「右中弁経房朝臣参女院、被丹波国賀舎庄顛倒事云々」とみえ、同書建久二年(一一九一)七月二七日条にも「此日、召資実、奏賀舎庄被野口牧之間事」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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