日本歴史地名大系 「東加舎村」の解説 東加舎村ひがしかやむら 京都府:亀岡市東加舎村[現在地名]亀岡市本梅(ほんめ)町東加舎篠山街道(山陰道)沿いの芦山(あしのやま)村より摂津国能勢(のせ)郡吉野(よしの)村(現大阪府豊能郡能勢町)へ越す峠下に位置し、本梅川最上流部にあたる。北は井手(いで)村、北西は西加舎(にしかや)村。中世は賀舎(かや)庄の地。加舎の名については、源義経が一(いち)ノ谷(たに)(現兵庫県神戸市須磨区)へ赴く時、当地の萱(かや)の辻(つじ)で馬に水を飲ませたという話があり、萱の替字であるといい(丹波誌)、またもとは牧村といったが、播磨より加舎氏が来住し代官を勤めて以来、家名を村名にした(丹波志桑船記)ともいうが、地名は義経以前からあるので、後世の付会である。天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば高二八〇石、戸数四〇、旗本前田金三郎知行地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by