賀茂和食郷(読み)かもわじきごう

日本歴史地名大系 「賀茂和食郷」の解説

賀茂和食郷
かもわじきごう

那賀川中流域の現鷲敷町から現阿南市加茂かも一帯に比定され、那賀山なかやま庄に所属した。永徳二年(一三八二)と推定される一一月二四日の足利義満御内書(鹿王院文書)には那賀山庄内「賀茂和食郷并関」とみえ、室町幕府三代将軍足利義満が自ら帰依した禅僧春屋妙葩宛に山城興聖こうしよう(鹿王院、現京都市右京区)の開創にあたり当郷などを同寺に寄進した。興聖寺は至徳元年(一三八四)宝幢ほうどう寺と改称し(鹿王院記)、文明一〇年(一四七八)五月二八日、宝幢寺領の賀茂和食などが同寺に返付されている(「足利義政御判御教書」鹿王院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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