那賀山庄(読み)なかやまのしよう

日本歴史地名大系 「那賀山庄」の解説

那賀山庄
なかやまのしよう

那賀川上流域から下流域一帯を庄域とした広域の庄園で、京都長講堂領。現那賀郡木沢きさわ村・上那賀かみなか町・相生あいおい町・鷲敷わじき町・那賀川なかがわ町および阿南市北西部一帯に比定される。たんに那賀山とも記された。建久二年(一一九一)一〇月日の長講堂領目録(島田文書)に那賀山とみえ元三(正月三が日)雑事に用いる御簾四間・御座四枚などのほか、毎月続松を一千八〇〇把、九月一ヵ月間に四足門と同北門を警備する兵士六人、三月に倉を警備する兵士一人、移花二〇枚などを負担していたが、建久頃には倉兵士役と移花を負担せず、続松も一千一〇〇把しか負担していなかった。嘉禎三年(一二三七)五月四日の官宣旨(九条家文書)には海部かいふ(現海部町に比定)浅河あさかわ(現海南町に比定)牟岐むぎ(現牟岐町に比定)の四至に「西限那賀山」と記載される。文永年間(一二六四―七五)頃と推定される年月日未詳の六条殿修理料支配状案(八代恒治氏旧蔵文書)には那賀山庄とみえ、長講堂の母屋の次の屋一融分の修理を分担させられている。これ以降、那賀山庄として史料に所見する。これらのことから、庄園としての成立時期を嘉禎三年から文永年間までの間に想定し、当庄の前身国衙領とみなすことができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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