資生館跡(読み)しせいかんあと

日本歴史地名大系 「資生館跡」の解説

資生館跡
しせいかんあと

[現在地名]中央区北一条東二丁目

明治四年(一八七一)一一月にのちの雨竜うりゆう通の東側に設けられた初等教育施設。開拓使は本陣内仮学校への入学者の急増から独立の施設を設けることとして、六〇〇坪の敷地校舎を建築し、明治四年一一月資生館として開校した。教員七人・生徒四〇余人。学則などからみると初等教育施設ではなく、幕末の士族子弟教育に連なる性格をもっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 志願者 雨竜

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む