日本歴史地名大系 「贄木町」の解説 贄木町にえぎまち 栃木県:宇都宮市宇都宮城下贄木町[現在地名]宇都宮市一条(いちじよう)四丁目・花房(はなぶさ)二丁目・西原(にしはら)三丁目・新町(しんまち)一丁目日光街道筋の町並で、北は歌(うた)ノ橋(はし)町、南は南新(みなみしん)町に続き、東は郭内四(よ)ノ筋(すじ)、西は西原(にしはら)村。熱木(ねぎ)町とも記される。応安元年(一三六八)九月日の市河頼房代難波基房軍忠状(山形県市河文書)に「八月十九日横田要害・廿九日贄木城合戦抽忠功、九月六日宇都宮城攻之時」とあり、宇都宮氏綱の乱で、関東公方軍との間に戦闘があった。宝徳年中(一四四九―五二)に当地にあった妙正(みようしよう)寺が葦原に移されたという(下野国誌)。天文八年(一五三九)と推定される一〇月一八日の小山高朝書状(早稲田大学蔵白川文書)に「去十四宮中・宿(ママ)・贄木尽打散候」とあり、高朝は当地などを攻略して宇都宮城を残すのみとなっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by