日本歴史地名大系 「赤原村」の解説 赤原村あかばらむら 愛知県:豊田市松平地区赤原村[現在地名]豊田市松平志賀(まつだいらしが)町 赤原巴(ともえ)川に架かる松平橋の南にあり、挙母(ころも)―南古瀬間(みなみこせま)―六(む)ッ木(ぎ)―赤原―九牛平(くぎゆうだいら)―大給(おぎゆう)―下河内(しもごうち)―林添(はやしぞうれ)―松平を経て新城(しんしろ)(現新城市)を結ぶ挙母道が通る。字前田(まえだ)には、赤原古屋敷とよぶ屋敷城跡があり、松沢玄蕃(天文六年没)・同兵庫父子が在城したという。今は山林と化し、通称げんばさんという塚と削平地があり、一五世紀末から一六世紀前半に松沢氏なる土豪の存在を伝えている(松平町誌)。また、字前田の墓地には宝篋印塔一基、五輪塔六基がある。近世初めは幕府領、寛永郷帳時には成瀬伊豆守領、慶安四年(一六五一)大島(おおしま)陣屋(現東加茂郡足助町)石川氏支配となって明治に至る。寛永六年(一六二九)検地役人鵜飼善兵衛と梅村忠助によって検地が行われたという(赤原村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by