日本大百科全書(ニッポニカ) 「足助」の意味・わかりやすい解説
足助
あすけ
愛知県中北部、東加茂郡(ひがしかもぐん)にあった旧町名(足助町(ちょう))。現在は豊田(とよた)市の中東部を占める一地区。1890年(明治23)町制を敷いたのは、塩の道飯田(いいだ)街道の重要宿場町であったからである。1955年(昭和30)足助町は阿摺(あずり)、賀茂、盛岡(もりおか)の3村と合併。2005年(平成17)豊田市に編入。中心集落は巴(ともえ)川沿いにあるが、大部分は三河高原にある林業集落である。国道153号、420号が通じる。名刹(めいさつ)香積寺(こうじゃくじ)やもみじ(紅葉)の名所香嵐渓(こうらんけい)は東海一といわれる観光拠点。飯盛(いいもり)山は鎌倉時代の足助重範(しげのり)の居城、足助神社に重範を祀(まつ)る。また、真弓山には戦国時代末期の山城跡があり、1993年(平成5)足助城が復元された。山中の綾渡(あやど)には国の重要文化財の木造観音菩薩坐像(ぼさつざぞう)のある平勝寺(へいしょうじ)があり、国指定重要無形民俗文化財「綾渡夜念仏(よねんぶつ)と盆踊」が保存され、いまも継承されている。巴川の河畔の白鷺(しらさぎ)温泉はアユが名物。足助宿の町並みは古い宿場の名残(なごり)をとどめ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
[伊藤郷平]
『『足助町誌資料1~4』(1967~1970・足助町)』▽『『足助町誌』(1975・足助町)』