赤坂東野村
あかさかひがしのむら
赤坂中野村の東、阿武隈高地南部の鮫川の水源地域に立地。村名は中世の赤坂村の東部域にあたることに由来する。赤坂東村とも書く(正保郷帳・元禄郷帳)。蕨ノ草・大石草・戸草・芦野草など草のつく地名が多い。江戸時代の領主の変遷は赤坂西野村と同じであったが、天保九年(一八三八)二分され、下総小見川藩領と幕府領とになった。正保郷帳では高七一九石余、うち田四七二石余・畑二四六石余。元禄郷帳では高四五八石余、枝郷の前田村の高三五石余、内ヶ龍村の高五四石余、大坊村の高五七石余、大石草村の高三五石余、滝下村の高三五石余、蕨草村の高一三一石、井柳沢村の高一〇石余、戸草村の高六二石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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