赤塚城跡(読み)あかつかじようあと

日本歴史地名大系 「赤塚城跡」の解説

赤塚城跡
あかつかじようあと

[現在地名]板橋区赤塚五丁目

赤塚郷内に所在した平山城。城跡は現在の都立赤塚城址公園を中心とする一帯。康正二年(一四五六)下総国を追われた千葉実胤が、山内上杉氏の計らいにより入城した(「御内書案」など)以後、武蔵千葉氏の主城の一つとなる。文献上は「小田原記」に「赤塚城主」とみえるだけで、千葉氏あるいは千葉氏家臣の誰が在城したかは不明。本格的調査が実施されていないため不明な点が多いが、主郭部は城址公園の広場部分を中心とし、周囲に幅五メートルほどの空堀が巡る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 北端 様相 防御

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む