日本歴史地名大系 「下赤塚村」の解説 下赤塚村しもあかつかむら 東京都:板橋区下赤塚村[現在地名]板橋区赤塚一―二丁目・同四―八丁目・赤塚新町(あかつかしんまち)一―三丁目・徳丸(とくまる)四丁目・四葉(よつば)一―二丁目・大門(だいもん)・成増(なります)一―二丁目・高島平(たかしまだいら)三―七丁目・新河岸(しんがし)二―三丁目徳丸四ッ葉(とくまるよつば)村・徳丸本(とくまるほん)村の西に位置し、村の南を川越街道が東西に走る。北方には荒川に至るまで入会地徳丸原の湿地が広がる。中世は赤塚郷に含まれていた。近世初期には代官板倉勝重の支配地となっていたと考えられ、慶長三年(一五九八)村方による田畑境についての訴訟への対応として、勝重による検地が実施されている(同年「松月院寺領帳」松月院文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by