赤塚郷(読み)あかつかごう

日本歴史地名大系 「赤塚郷」の解説

赤塚郷
あかつかごう

豊島郡域の西部に比定される。西を白子しらこ川で新座にいくら郡、北を入間いるま(現荒川)で足立郡と接する。元弘三年(一三三三)八月頃の足利尊氏・同直義所領目録(比志島文書)に「武蔵国赤塚」が直義の恩賞地としてみえる。このことから鎌倉期は北条氏の得宗領であったと推測される。直義の死後、赤塚郷はその正室渋川頼子(法名本光院)の一期領となった(永徳三年二月二九日「如春寄進状案」鹿王院文書)。頼子の死後は、姪渋川幸子(足利義詮正室・法名如春)の所領となっており、康暦元年(一三七九)六月二五日に如春は帰依していた春屋妙葩に石成いしなり(現在の成増付近)の地を除き、夫義詮と自らの後生菩提料として寄進した(「如春寄進状案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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