赤川廃寺跡(読み)あかがわはいじあと

日本歴史地名大系 「赤川廃寺跡」の解説

赤川廃寺跡
あかがわはいじあと

[現在地名]旭区赤川四丁目

淀川河川敷にあり、「赤川廃寺跡」として大阪市の埋蔵文化財包蔵地に指定されている。寺は天台宗大金剛だいこんごう院と称し、俗に赤川せきせん寺ともよばれたという(東成郡誌)。現在兵庫県川西市満願まんがん寺に残る大般若経六〇〇巻は、第一巻追奥書により、元仁二年(一二二五)から寛喜二年(一二三〇)まで六年の歳月を費やして「榎並下御庄大金剛院」の住持覚賢が書写、天文一六年(一五四七)池田信正が摂州豊島てしま久安きゆうあん(現池田市)に寄進したのを、安永九年(一七八〇)内平野うちひらの町二丁目(現東区)の山中成亮(長浜屋吉右衛門)が発願して修補、脱巻を書写し経函一二を添えて満願寺に寄進したものであることがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android