日本歴史地名大系 「旭区」の解説 旭区あさひく 大阪府:大阪市旭区面積:六・一一平方キロ上町(うえまち)台地先端部東方の淀川左岸に位置し、東はほぼ旧摂河国境をもって守口(もりぐち)市と、西は国鉄城東貨物線をもって都島(みやこじま)区と、南は国道一六三号をもって城東区と、北は淀川を隔てて東淀川区と接する。区南部を都島区から城東区へ城北(しろきた)運河が通り、その上を阪神高速道路森小路線が、またそれより分岐して東北方向に同大阪守口線が通る。鉄道は区南部に京阪電鉄本線、府道桜島―守口線の下を地下鉄谷町線が通る。区北部の赤川(あかがわ)四丁目の一部・生江(いくえ)三丁目の一部・中宮(なかみや)五丁目・大宮(おおみや)五丁目・太子橋(たいしばし)一―三丁目は明治四三年(一九一〇)に淀川が改修される以前は淀川の河床であった。旭区は昭和七年(一九三二)東成(ひがしなり)区の北端を分割して成立。〔原始・古代〕縄文時代後期から弥生時代前半の河内潟の頃、区南部の森小路(もりしようじ)より東北部は淀川の沖積作用によって陸地化し、さらに弥生時代後期から古墳時代にかけての河内湖の時代には区南西部を除くほぼ全域が陸地化していたと考えられる。現新森(しんもり)四丁目の新森中央公園付近には弥生時代前期から古墳時代の集落遺跡と推定される森小路遺跡があり、市内の低地遺跡として知られる。仁徳天皇のとき、淀川の洪水から河内の平野部を守るため現枚方(ひらかた)市域から当区付近にかけて、淀川南岸に茨田(まんだ)堤が築かれたという(日本書紀)。このとき決壊地の工事完成のため、武蔵の人強頸が人柱となった断間(決壊個所)の跡が千林(せんばやし)二丁目付近の字一の絶間(いちのたいま)であると伝える。またこの頃区の西部には幾つもの淀川の三角洲ができた。南島(みなみしま)・江野(えの)(もと江ノ島)などの地名はその名残と推定されている。区域は「和名抄」(東急本)記載の摂津国東生(ひがしなり)郡五郷のうち古市(ふるち)郷に属し、平安時代には現城東区域を中心とした榎並(えなみ)庄に含まれたと考えられる。榎並庄は一一世紀後半には摂関家領として確立し、近衛家に伝領された。 旭区あさひく 神奈川県:横浜市旭区面積:三二・七九平方キロ市の西部に位置し、東は保土(ほど)ヶ谷(や)区、西は瀬谷(せや)区、南は戸塚(とつか)区、北は緑(みどり)区に接する。関東ローム層の赤土に覆われた標高四〇―九〇メートルの多摩丘陵および下末吉(しもすえよし)台地からなる。その谷間を縫って西南端から東へ流れる二俣(ふたまた)川と、上川井(かみかわい)町に源流を発し南下する帷子(かたびら)川が、旭区役所の辺りで合流し、保土ヶ谷区西谷(にしや)町へ流れる。縄文時代の遺跡には早期の小池(こいけ)遺跡や縄文中期に属する二俣川(ふたまたがわ)二丁目の宮沢(みやざわ)遺跡など多数があり、勝坂式および加曾利E式土器を伴う竪穴住居跡が発見されている。白根(しらね)町には古墳時代末期に属する王塚(おうづか)古墳がある。武蔵国都筑(つづき)郡に属し、「和名抄」所載の幡屋(はたのや)郷は、帷子川流域南部に比定されている。中世には、桓武平氏良文流の秩父氏一族の榛谷重朝・行重が二俣川から保土ヶ谷にかけての土地を伊勢神宮に寄進し、保安三年(一一二二)内宮領榛谷(はんがや)御厨となり(建久三年「伊勢大神宮神領注文」神宮雑書)、それぞれ地主・荘官に任ぜられたとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「旭区」の意味・わかりやすい解説 旭〔区〕あさひ 大阪市北東部,淀川左岸の区。東は守口市に接する。 1932年旧東成区から分区,新設された。 43年城東区と都島 (みやこじま) 区を分離。かつては低湿な水田地帯であったが,1910年の京阪電気鉄道開通後,住宅や工場が進出,次第に市街地となった。現在,城北運河沿いに製糖,製紙をはじめ電気機器,化学,メリヤスなどの中小工場が多数立地し,大阪東部工業地区の一部を形成。京阪本線に並走して地下鉄谷町線が延び,沿線は住宅地,千林 (せんばやし) 駅付近は商店街。淀川河川敷には河川公園があり,淀川沿いの城北公園は菖蒲園で有名。区の中央を阪神高速 12号守口線が東西に蛇行して通る。面積 6.32km2。人口 8万9670(2020)。 旭〔区〕あさひ 神奈川県東部,横浜市中部の区。多摩丘陵の帷子 (かたびら) 川上流域にある。 1969年保土ヶ谷区西部が分離して区制。横浜の近郊農業地帯であったが,宅地化が急速に進んでおり,相模鉄道沿線には大型住宅団地が造成された。帷子川流域には 1940年代後半から輸出向けのスカーフやマフラーの捺染業が発達している。こども自然公園がある。国道 16号線が通る。面積 32.73km2。人口 24万5174(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by