朝日日本歴史人物事典 「赤星因徹」の解説
赤星因徹
生年:文化7(1810)
江戸末期の囲碁棋士,肥後国(熊本県)生まれ。幼名千十郎,次いで因誠,因徹。文政4(1821)年,10代井上因碩(因砂)に入門,のちに11代井上因碩(幻庵)の教えを受け,秘蔵の弟子。天保5(1834)年七段上手に進む秀才だったが病弱だったらしい。翌年7月,碁所を狙う幻庵因碩の宿望を担って老中松平康任家の碁会で12世本因坊丈和と対局,丈和の3妙手に遭い敗れた。「因徹吐血の局」といわれる。<著作>『玄覧』<参考文献>荒木直躬『本因坊丈和全集』(歴代名人打碁大系)
(谷口牧夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報