20世紀日本人名事典 「赤沢乾一」の解説
赤沢 乾一
アカザワ ケンイチ
明治〜昭和期の医師,社会事業家
- 生年
- 明治6年3月5日(1873年)
- 没年
- 昭和37(1962)年7月3日
- 出生地
- 広島県神石郡小畑村
- 別名
- 号=釣翁,楽翁
- 学歴〔年〕
- 第三高中医学部(現・岡山大学医学部)〔明治28年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和26年〕,山陽新聞賞〔昭和27年〕,勲五等瑞宝章
- 経歴
- 明治28年岡山県の病院に勤務、35年岡山市内で開業する。昭和5〜9年岡山市医師会長。傍ら、6年岡山博愛会病院内科主任となり、のち開業医をやめ同病院に専念、11年から死去するまで岡山博愛会理事長・会長に就任した。また21年から10年間就実高等女学校・就実高校理事長を務めたほか、岡山市社会教育委員、岡山済生会理事長などを務め、教育・福祉事業に貢献。家蔵の古医書を岡山大学図書館鹿田分館に寄贈した。短歌をよくし五声会同人として多くの和歌を残し、遺作に「赤沢乾一大人遺詠集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報